母の誕生日に想うこと。母を失った喪失感と後悔、立ち直れないほどの深い悲しみ
2024.11.03
母の誕生日が近づくたび、心が締め付けられるような思いに苛まれます。
もし母が生きていれば、今日、87歳になるはずでした。
しかし、母はもうこの世にはいません。
その事実を受け入れることができず、日々の中で母が今もどこかに存在しているのではないかという錯覚に陥ることがあります。
母の最期の瞬間を思い出すと、私がその時を「最期」と認識できなかったことが、今でも胸を締め付けるのです。
母は「90歳まで生きたい」とよく言っていました。
健康に気を使い前向きで、周囲の気持ちを最優先に考え、謙虚な姿勢を保つ母は、私にとって、家族にとって、かけがえのない存在でした。
そんな母がいない世界が、今は信じられないほどの虚しさに包まれています。
特に母の誕生日が近づくたび、母がいないことの現実が一層重くのしかかり、どうしてもその喪失感から逃れることができません。
母との日々――支え続けてくれた存在
私はこれまで、多くのことに挑戦してきましたが、母がいてくれたからこそ、その挑戦ができたのだと思います。
母は、私がどんなに困難な状況にあっても、どんなに失敗しても、いつも後ろで支えてくれていました。
母が笑顔で「大丈夫だよ」と言ってくれるという自信があったからこそ、私は失敗を恐れずに前に進むことができたのです。
振り返れば、母はいつも私の後ろにいて、私を優しく見守ってくれていました。
母は、私のお願いを断ることは一度もありませんでした。
どんな小さなことでも、「いいよ、いいよ」と快く受け入れ、私を支援してくれました。
その優しさと愛情が、私にどれほどの安心感と勇気を与えてくれたか、今振り返るとよくわかります。
母がいない今、その支えを失った喪失感が日々私を襲います。
結婚前、両親と一緒に住んでいた頃、毎朝「おはよう」と母が笑顔で言ってくれたこと、家に帰ると「おかえり」と優しく迎えてくれたこと――そんな日常がどれほど大切だったか、今では計り知れません。
母が作ってくれたその温かい空間が、私の心を癒し、どんな時でも安心感を与えてくれました。
その温かさを失った今、私の心にはぽっかりと穴が開いているような気がします。
最期に何もできなかった――取り戻せない後悔
母が亡くなる直前、私はその時が「最期」であるとは気づけませんでした。
もっと母に寄り添い、もっと話をし、感謝の気持ちを伝えることができたはずです。
しかし、あの日はただ過ぎ去り、私は何もできずに母を見送ってしまいました。
その後悔の念が、私の心に深く刻まれ、どれほど悔やんでも取り返しがつかないことを痛感しています。
母の病状が悪化していることは医師からは伝えられなかったため、「まだ大丈夫」と思っていた自分がいます。
医師の言葉を信じず、もっと早く気づいていれば、もっと母に寄り添っていれば、母の最期の時をもっと大切に過ごせていたかもしれない。
その思いが、今でも私の心をかき乱します。
あの時、もっと何かできていたのではないか――そう考える度に、後悔の念が強まりますが、母はもう戻ってこないという現実に打ちのめされます。
母の最後の瞬間を共に過ごすことができたのに、それを最期だと認識できなかったことが、今でも信じられないのです。
もっと母に感謝の気持ちを伝え、もっと温かく寄り添っていれば、母の心も少しは軽くなったのではないか――そんな思いが、何度も私の頭の中を駆け巡ります。
しかし、その時はもう二度と訪れないのです。
母からの応援――心の支えを失った今
母は私にとって、何よりも心強い応援団でした。
誕生日が近づくたび、母は必ず電話かメールで「おめでとう」と声をかけてくれました。
その一言一言が、どれほど私を勇気づけてくれたかは言葉では表現しきれません。
母が私を応援してくれるという確信があったからこそ、私は自信を持って物事に挑戦できたのです。
母がいない今、その応援がどれほど大きな支えだったのかを痛感します。
母の励ましの言葉は、シンプルでありながらも心に響くものでした。
「あなたなら大丈夫、頑張れるよ」という言葉が、どれほど私を支えてくれたことでしょう。
母はいつも私のことを信じてくれました。
その信頼と愛情が、私の心を強くしてくれたのです。
しかし、母を失った今、その支えが消えてしまったことをどう受け止めればいいのか分かりません。
母がいなくなったことで感じる喪失感は、日々私を襲い、前に進む気力を奪い取ってしまいます。
母の励ましがなくなった今、私は一人でどうやって前を向いて進んでいけばいいのか、まだ答えが見つかりません。
立ち直れないほどの後悔――母の不条理な死を受け入れられない
母が亡くなった原因は、決して自然なものではなく、不条理な状況の中で迎えた死でした。
それが一層、私の心に深い悲しみと後悔を残しました。
母がもっと長く生きられたはずなのに、どうしてこんな形で亡くならなければならなかったのか。
その問いが私の心を占め、何度考えても答えが見つかりません。
母が無念の死を迎えたこと、そしてその最期の瞬間に私は十分に寄り添うことができなかったこと――これらの後悔が私の心を重く押しつぶしています。
人生における最大の後悔が、この母の死に関わるものだということは、どれだけ時間が経っても変わることはないでしょう。
私はこの後悔を抱えながら、これからも生きていくしかありません。
母が与えてくれた愛情や支えが、私の中に今でも残っていますが、それだけでは埋めることができない喪失感が私を包み込んでいます。
どんなに感謝の気持ちを抱いても、どれだけ母を思い続けても、母はもう戻ってこないという現実が、私の心に重くのしかかるのです。
前を向けない今――母の不在と共に生きる
私は今、前を向くことができるとは思えません。
母がいない世界で、どうやって歩んでいけばいいのか、その答えはまだ見つかっていません。
母が私に与えてくれた愛情と支えを胸に抱きながらも、その喪失感と後悔は、私の心に重く圧し掛かり、私を動けなくしています。
無理に前を向こうとは思いません。
今はただ、母のいない現実を受け入れることすらできず、心が空虚なままの日々を過ごしています。
母への感謝の気持ちは消えることはありませんが、その感謝と共に、私は喪失感と向き合わなければならないのです。
どれだけ時間が経っても、この後悔や悲しみが癒えることはないでしょう。
母がいない世界で、これからどうやって生きていくのか――その答えはまだ見つかっていません。
しかし、母が残してくれた思い出と愛情を胸に、少しずつでも、その喪失感を整理できる日が来ることを願っています。
それまでは、無理に前を向かず、今の感情に正直に向き合っていこうと思います。
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